こんにちは、くどけんです。
講師業をしているとその業界の話がふと耳に入ってくることがありまして、その話から感じた事を記事にしてみようと思います。
目次
きっかけ:小さな抗議で見えたもの
ある学校で、一部の学生が「集」となり、特定の授業に対して小さな抗議が起きたと耳にしました。規模は大きくありませんが、学生側の主張は一定通り、先生の一部も味方につけて着地したとのこと。
気になったのはその後です。抗議をした学生の一部が、相手にした先生の陰口を言い始めたという話。言い分が通ったはずなのに、“勝った側”に残る負の余波がある——ここに「集」の怖さを感じました。
「集」が持つ圧倒的な強さ
「集」は、個では動かせないものを動かします。
事実や感情をまとめ、声のボリュームを上げ、意思決定者に届く形に整える。これは社会を良くするために必要な力です。制度や運用のゆがみを正すブレーキ・アクセルとして、集団の力はとても有効だと思います。
同時に生まれる“怖さ”の正体
ただし、強さの裏には怖さがあります。
議論の焦点がいつの間にか“人”への評価や嘲笑にずれてしまうこと。勝ち負けの関係が固定化され、相手を悪者に“設定”してしまう空気が生まれること。
問題は「正しいかどうか」だけでなく、どう正すかにもあります。方法を誤ると、その後の教室・職場・チームの関係性が壊れます。
リーダーの責務:変えた後の後腐れをなくす
「集」を率いる人(声をまとめる人)には、相手の尊厳を守るという責務があると感じます。
主張は主張として伝えつつ、人格と行為を切り分ける。要望は「事実・要点・代替案」で示し、着地後は陰での悪口を止める。
変えた後に関係が続く場だからこそ、後腐れをなくす努力が必要です。
まとめ:強さを良い方向へ
「集」は変化を起こす強力なエンジンです。同時に、扱いを誤れば、関係を壊す刃にもなります。
だからこそ、相手の尊厳を守り、人格と課題を切り分け、変えた後の関係を整える。この3点を意識するだけで、強さは怖さに傾かず、良い方向へ働きます。
場を良くするための「集」でありたい。そんなことを、今回の出来事から改めて感じました。
それでは、また!