こんにちは、クドケンです。
昨日の夜は子供が割と早く寝たので、妻とゆっくり話す時間ができました。
久しぶりに結婚式のアルバムでもみようという話になって、「楽しかったね〜」とか言いながら眺めていました。
そんな時にふと、「最近は何をしてる時が楽しい?」って聞いてみたんですね。
そしたら帰ってきた言葉が、、、
「ない」
(え〜〜〜)
妻はもともと無趣味な人なので、仕事以外に何かのために時間をつくるというのをあまりしないのですが、がっかりを通り越して少し心配になってきたんですね。
もう少し聞くと、「楽しいことはなくはないけど、生き甲斐と呼べるようなことなない」とのこと。
そう言われると自分にも当てはまりそうな気はしますが、皆さんも何となくわかりますか?
僕は何か引っかかる感じがするので、今日はそのことを分析してもようかなと思います。
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①生き甲斐って何?
生き甲斐とは、「生きることの喜び」や「生きる価値」と説明されています。
余談ですが、海外の研究者が日本の沖縄の長寿の理由の一つがこの「生き甲斐」にあると解いたことで、海外にもその概念が伝わっているようです。
ざっくりまとめると、「生きてて良かった!」と思える瞬間をもたらす何か。
人生色々大変なこともあるけど、「これ」があるから頑張れると思えるものだとここでは定義します。
②「生き甲斐」があると人生は豊かになる?
先に書いた研究者の説の通りでいえば、生き甲斐が寿命に影響を与えている=健康に深い関係にあるストレスに良い影響を与えると考えられます。
生き甲斐があることで、日々の「悪いストレス」を緩和できると言うことでしょう。
ストレスは肉体だけでなく精神にまでさまざまな不調をもたらし、重症化するとうつ病などその後の人生に大きな影響を与える病になることもあります。
それを緩和する生き甲斐があると、人生はきっと豊かなものになるでしょう。
また、僕は人生にとってお金は重要なものだと考えています。
ですが、生き甲斐のある人にとってはお金はそれほど重要なものではないのかもしれません。
そう言う意味で、生き甲斐は生きる不安を緩和してくれる効果もあるのかもしれません。
③なぜ「生き甲斐」がないのかを考えてみる
生き甲斐はきっと特別なことではない、と僕は考えました。
あらゆる人は、すでにそれに出会っている。
と言うか、すでに手にしている。
でもそれに気づかない。
あらゆる思考が邪魔をして、それに気づいていないだけ。かもしれない。
子供の頃はもしかしたら気づいていたかもしれない何か。
成長して、大人になって、あらゆるものを背負ったり、それをこなすために試行錯誤する中で埋もれてしまったのかもしれない。
現代の人はもしかしたら、色々なことを背負いすぎているのかもしれません。
「生き甲斐」を再び得るためには、肩の荷を少しずつ下ろして、「己」や「己の身近ななところ」に強く意識を向けなければ気づかないのかもしれません。
もしくは、精一杯生きて、自分の思考が研磨されて初めて「生き甲斐」に気づくこともあるかもしれません。
たとえ、今は「生き甲斐」がなくてただなんとなく過ぎていく毎日でも、思考と挑戦をくりかえした先に「生き甲斐」が待っているかもしれません。
いずれにしても、そう言うお金にも変え難い希望が待っていると考えれば、長い人生を踏ん張って生きていく価値はあるような気がします。
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いかがでしたでしょうか。
結局のところ解答と呼べるような結論には至らなかったですが、要は「生き甲斐がない」と言っている妻にもきっと生き甲斐はあって、そして僕にもあって、お互いにそれに気づいていないだけだろう、と言うのが僕の考えです。
透明な何かを常に持っているような状態で、この先自分がある状態になった時に初めてその存在に気づく、そんな気がします。
「生き甲斐ほしい」と思う人は、きっとその瞬間はネガティブな感情に浸っていることが多いように思います。
ですが、今回の記事を書いていて、僕は逆にいつ見つかるかもわからない宝箱を探すように、ワクワクした気持ちでこれからの人生を楽しみたいと思いました。
見つかればラッキー!見つからなくても、ワクワクしていればきっと人生は今より楽しい方向にいくと思います。
それでは、本日も最後までお読みくださりありがとうございました。
したっけね〜